火曜会と私

思うところあって、本日から数回に渡って記述していく「火曜会と私」と題する私的な回想は「火曜会の歴史について」*1を参考にしたことを最初にお断りしておきます。

第1章 火曜会への参加経緯について(2002年初夏〜秋)

私がボードゲームというものをたしなむようになったのは1996年頃でした。それがその後、仕事の都合で仙台へ転勤となり、その地で2年間勤務しましたが、その時多いときには週5回(笑)という反社会人的なほどボードゲームにのめり込んでいました。
仙台から関東某県に転勤になってからはその地の利を生かして、週末に首都圏で行われる例会に足を運んでいましたが、それをかき集めても多くて月8回。実際に参加できるのはその半分程度。これでは到底満足できず、週5回とは言わないから(ヒント:普通言わない)仙台時代のように平日もゲームがしたいなあ、と考えておりました。
そうこうしている2002年春、東京に転勤になりました。初めての東京暮らし、今まで以上に例会に参加できるなあ、と喜んでいたら更に嬉しい話を耳にしました。それが「火曜会」の話だったのです。
ここで早くも「火曜会」という名称で書きましたが、当時はそのような名称ではなく「平日ゲーム会」と呼ばれていました。その起源は前述の資料によると2002年初夏、平日にも非電源系ゲームを楽しめる、若しくはそれを愛好する人々が集う場のようなものを作りたい、という趣旨で埼玉在住の愛好家某が埼玉の某ボードゲームサークル会長と企画し、さいたま市にあるイエローサブマリン大宮カードショップ店のプレイスペースで立ち上げたのが最初みたいです。ただ、このときは週の半ばの水曜日に行われていたようです。
当時、私は埼玉のこのサークルによく出入りしており、実際にゲーム会を立ち上げた愛好者某(以後、火曜会の初代代表であるので「初代某」と記載)からその話を聞いたと思います。ですが、当初は開催地が大宮ということもあって参加するには至りませんでした。
ところが会場であったイエローサブマリン大宮カードショップ店が閉店することとなり、埼玉のサークルの参加者の多くの職場が都内にあることから秋葉原イエローサブマリンのプレイスペースに変更になりました。これが同じ年の秋頃であり、それが私の火曜会事始めでありました。

*1:火曜会有志による覚書。現在第6版