火曜会と私

第2章秋葉原火曜会時代(2002年秋〜2003年6月)その1

大宮で始まった平日ゲーム会が秋葉原イエローサブマリンへ移転したことに伴い、発起人のひとりであった初代某が正式に会の代表となりました。そして、開催日も火曜日に固定されることとなり、ここに名実共に「火曜会」*1が始まることになりました。ただ、「火曜会の歴史」によると、後の「柏木火曜会」と区別するためにこの時期の火曜会は「秋葉原火曜会」と呼ばれております。
開催場所の閉店による開催地の変更という不運に見舞われた「秋葉原火曜会」でしたが、「災い転じて福となす」という諺そのままに思いがけない幸運に巡り会うこととなりました。開催地を都心にしたことにより、当初埼玉在住の愛好家と対象としていたものが、その愛好者の大半が所謂「埼玉都民」であり、「仕事帰りに軽くゲームを」というそもそもの条件を満たすことに繋がったのみならず、東京在住者、「千葉都民」、及び「神奈川都民」ゲーム愛好者などの潜在的需要を刺激することなり、埼玉のボードゲームサークル関係者以外にも、玉屋派*2をはじめとする首都圏内のサークルに通う愛好家に認知されるところとなり、平均10人前後が参加する会合に成長していきました。
私も職場から秋葉原まで30分かからない所にありましたので、移転の恩恵を受けたもののひとりでありました。平日にボードゲーム(とはいえ時間的制約があるので重たいのは出来ませんが)が又出来るようになったのは嬉しいですし、平日にこの手の話題をすることが出来るというのが何よりも癒されるといいますか、平日を乗り切る糧になっていました。
また、私は首都圏のボードゲームの例会のいくつか顔を出していたため、火曜会の参加者もいずれかの会場でお見かけしている場合が多かったのですが、火曜会の開催数が増えるにつれて、この秋葉原火曜会で初めてゲームを共にする機会が度々あり、中には火曜会でボードゲームを知った、という方もいて実に新鮮な感じを受けたものでした。その中のひとりが後に火曜会を引っ張っていくこととなるいしい幹部でした。
この火曜会は終了後に参加者の有志で夕食を共にするのですが、これが実に面白く、仕事が押して火曜会そのものに参加できなくてもこの夕食会*3には参加する、ということがしばしばありました。勿論、ボードゲームの話もするのですが、そこでの話題はそれに留まらず火曜会に参加する人々の引き出しの多さ、懐の深さに感心することしきりでした。
このように順風満帆に思えた火曜会でありましたが2003年夏にまた1つの転機が訪れました。原因はまた会場の問題でした。

*1:これを命名したのは紳士服某が有力であるらしい

*2:御大某及び御大某が開催するプライヴェート例会の参加者のこと。前述の埼玉の某サークルとの人脈的パイプが太いらしい

*3:当時末広町のビル○ィという店をよく利用していたため「ビルだら」と称されていました