火曜会と私

第4章柏木火曜会時代(2003年7月〜2003年10月)その1

記録*1によると、柏木に移転して初めての火曜会開催は7月1日とのことであり、私も参加しているらしいのですが、日記を付け始めたのが2003年の7月4日からなので、この日のことには触れていないのですが、次の回の7月8日からは自らの日記に書いてあり、私としては相変わらず火曜会ライフを満喫していたことがわかります。

柏木は秋葉原と違って常備されているボードゲームの数がそこそこありましたので、手ぶらで(勿論ゲームを、です)来ても何かしら出来るという意味ではこれまでにない利点であると思いました。ただ、しばらくするとやはりマイブームというものがあるので私は「今月は○○強化月間」と称して、社会人としてはどうなの?というそれなりに大きなボードゲームをスーツケースに(というより、そういうゲームを持ち運ぶときに限って、普段使わないご大層なスーツケースに)入れて持ってきてはゲームをしていました。そして22時少し前に火曜会としては解散して、参加者の有志と秋葉原時代同様に1時間ほど夕食会と称して四方山話に興じるのでした。

柏木移転後の火曜会の参加者の状況については、移転時に懸念していた参加者の目立った現象も無く、従来からの柏木に通っておられた方々との交流も出来てきつつあるように感じました。ボードゲーム愛好家というのは目下のところ極めて少数派ですが、それでもまだまだ私の知らない(まあ、当然とは思いますが)ボードゲーム愛好家の方々とお会いできるのは、実に良い経験でした。

ところが、私としては満足してきていた火曜会にまた問題が起こりました。これまで大宮時代の「平日ゲーム会」の頃から会の代表として尽力していただいていた初代某が仕事の関係で代表を降りることになったのでした。火曜会の参加者の大半は勤め人ですから、有る意味会の運営もボランティア精神に拠っているので、仕方の無いことではありました。寧ろ仕事をやり繰りして、秋葉原時代よりも雑事の増えた代表職を続けていただいたことに感謝する、という方が良いのかもしれません。でも、単純に1人のボードゲーム愛好家に立ち戻るとこのまま火曜会が消滅する、というのは実に由々しき問題でした。私にとっては憂鬱な月曜日をやり過ごして、平日を乗り切る一つの支えとして火曜会は無くてはならない存在だったからでした。

*1:柏木に置いてある火曜会ノート